濁ってきたら、進んでいます
書きはじめてから、なんだか調子が悪い。
書く前より、気持ちがざわつく。
嫌な自分ばかり出てくる。
続けようと思っていたのに、開くのが重い。
そのときのために、この綴りを置いておきます。
先に言ってしまいます。
それは、失敗ではありません。
濁ったのは、混ぜたからです
配布ページに、コップの話を書きました。
静かに置いておけば、泥は沈んで、上のほうは澄んでくる。——あれの、ひとつ手前の話です。
書くというのは、そのコップに箸を入れて、混ぜる作業です。
だから、書いたあとに濁ります。当たり前です。
むしろ濁らなかったなら、まだ底まで届いていないだけかもしれません。
新しく汚れたのではありません。
もともと底にあったものが、見えるところまで上がってきた。それだけです。
濁った瞬間に「失敗した」と思って、慌ててかき混ぜ続ける。
これが、いちばん長引かせます。
置いておけば、沈みます。
嫌な自分が出てくる理由
書いていると、こんなものが出てきます。
嫉妬している自分。
本当は誰かを許していない自分。
ずるい自分。恨んでいる自分。
穏やかな顔の裏にいた、まったく別の誰か。
これを見ると、たいていの人はこう思います。
「私、こんな人間だったのか」と。
違います。
出てきたのではありません。もともと、居ました。
見えていなかっただけです。
そして今、見えるようになった。目が良くなった、ということです。
ユングは、これを「影」と呼びました
心理学者のカール・ユングは、この部分を「影(シャドウ)」と名づけました。
人は、外の世界と付き合うために、外向きの顔をつくります。
やさしい人。しっかりした人。迷惑をかけない人。
——その顔をつくった瞬間、裏側に、その顔からはみ出した自分が生まれます。
はみ出した側は、「自分ではない」ことにされて、奥にしまわれます。
けれど、消えてはいません。
ユングの言葉に、こんな一節があります。
人は光の姿を想像することによって悟りを開くのではなく、暗闇を意識化することによって悟りを開くのである。
明るいものを思い浮かべても、人は変わらない。
暗いところに明かりを向けたときだけ、変わる。
そしてユングは、影の中に嫌なものだけが入っているのではない、とも言っています。
本来持っていた生命力や、創造性まで、一緒にしまい込まれている。
「怒ってはならない」としまい込んだ人は、自分を守る力も一緒にしまっています。
「欲しがってはならない」としまい込んだ人は、進む力も一緒に。
だから、影に向き合うことは、自分を責める作業ではありません。
置いてきたものを、取りに行く作業です。
捨てるものではありません
ここが、いちばん誤解されるところです。
私も長いあいだ、この作業を「底の泥を捨てること」だと思っていました。
きれいな水にするために、泥を取り除く。そういう話だと。
違いました。
老子は、泥を捨てろとは言っていません。静かにしろ、と言っています。
ユングも、影を消せとは言っていません。意識化して、自分に統合しろ、と言っています。
泥は、捨てられません。
嫉妬する自分も、ずるい自分も、消えません。
消そうとするから、また奥に押し込むことになって、同じことが繰り返されます。
やることは、ひとつだけです。
見る。そして、それも自分だと知っておく。
それだけで、その部分は暴れなくなります。
見てもらえなかったから、暴れていたのです。
4日目が「織る」なのは、そういうことです。
きれいな糸も、そうでない糸も、同じ布に入れます。
辞めたくなったとき
「毎月続けなければ」と思った時点で、これは宿題になります。
宿題になったら、もう自分の声を聴く道具ではありません。
書かない月があっても、何も起きません。
月は、来月も欠けます。再来月も欠けます。
やめても、また来ます。
始まりも終わりもないので、途切れは、はじめから前提のうちです。
戻ってきたときに、「1回空いた」と数えないでください。
数えはじめると、また宿題になります。
しんどいときの、逃げ方
具体的に、5つ。
今日は開かない。
無理だと思ったら、閉じてください。ページは逃げません。
1行で足ります。
「今日は書きたくない」だけでも、それは記録です。
書かないことも、書けます。
空白の欄に「書けない」と記す。空白も、ひとつの答えです。
数日置いてから、読み返す。
書いた直後が、いちばん濁っている時間です。判断は、澄んでからで間に合います。
誰にも見せません。
これは提出物ではありません。読むのは、来月の自分だけです。
「え?」と湧いてきた言葉は、種のページへ
しんどさの正体は、たいてい、欄の中ではなく、欄の外に出てきます。
書いている途中で、脈絡なく浮かんでくる言葉。
今日のテーマとは関係のない、けれど、なぜか消えない一行。
あれです。
あれが、しんどさの中心にいることが、とても多い。
そこに書き留めるだけで、済んでいます。
見たよ。そこにいていいよ。
それだけで、たいていのものは静かになります。
つらさが強いときは
書いていて、日常が立ちゆかないほどつらくなったときは、ノートを閉じて、信頼できる人や、専門家を頼ってください。
それは中断ではありません。
いちばん適切な、次の一歩です。
このジャーナルは、あなたの人生の主役ではありません。
静かな数日に、そばに置いておくだけの、紙です。
濁っている今も、途中です
私も、いまだに濁ります。
書いたあとに、余計にざわつく月があります。
けれど、一度でも「澄んだあと」を知ってしまえば、濁っている最中に、こう思えるようになります。
今、混ぜたところだな、と。
このあと、沈むな、と。
それだけで、濁りは長引かなくなります。
静かに。徐々に。
それで、じゅうぶんです。
次の鎮静月は、8月10日・11日・12日。新月は、8月13日です。
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